TathāNote -にょのーと-

手帳沼のほとりで踊り狂うにょの

好きなものとコダワリと。

私は、自分のことを知るために「好きなもの、こと、ヒト」は気が向いたときに書き溜めていました。
昨日初めての人とご飯に行ったときに「コダワリはありますか?これだけは譲れないこととか」と聞かれて、パッと思いつかなかったという出来事がありました。

「コダワリ」は嫌なことにフォーカスするマイナスなイメージがあり、わざわざ嫌なことに目を向けるくらいなら好きなこと考えて生きていたい、という感じです。

業種柄「コダワリを持ちすぎる」と頑固になって流れを変えられなかったり、自分ルールが強すぎて新しいものを取り入れられなかったりしそう、、というのもありました。
弊社でいうと、スピード感が大事だし、クライアントの意向が大事なので、70%で出してブラッシュアップしていくことが求められるので、個人のコダワリを持っていたら仕事ができないです(そういう人は早々に旅立っていきますw)

自分のコダワリを知ること

意味を調べていく中で、「嫌なこと」というとワガママに聞こえるけど、「コダワリ」というとポリシーであり芯があると言えるのではないか?と思いました。

私自身はコダワリが無いからこそ柔軟に対応でき、どんな場所にもフワッと居続けられるのが長所の一つですが、裏を返すと主体性がなく周りに流されるという短所でもあります。

仕事だと周りに流された先の中で判断をして行動ができるけど、プライベートは私を流してくれる人はいない。ただダラダラとしてしまう。

コダワリを持つには

私の唯一と言っていいコダワリは手帳や文具。
これは、実際に買って試して嫌なポイントが見えてきた、というところからコダワリへと昇華した経緯がある。
何かにコダワルということは、体験して思考して初めて得られるものなのかもしれない。


生きているだけで様々なことを経験するので、言葉にしていないだけでコダワリは実はたくさんあるのかもしれない。私の性格上、間違いなくたくさんあるはずだ。
やらない・選ばないの判断スピードを上げるためにも、嫌なことにも目を向けて理由を考えてみるのも面白そうです。

ゆるやかに流れに乗りチャンスを掴んだり行動を起こすには、好きなことも大事だけどコダワリも大事かもしれない、と考えていたのでした。