TathāNote -にょのーと-

手帳沼のほとりで踊り狂うにょの

自分なりの処世術を見つける話

ある朝、通勤時間帯の混んでいる電車内で、一人の青年が扉のところで座り込んでいた。ヘルプマークがカバンについている。
『体調が悪いのか?』と私は心配をしたけど、目はしっかり開いていて乗降する人たちをきちんと見ていた。
『体調が悪いわけではないっぽい。ひとまずヨシ』と私は電車に乗り込んだのであった。

電車の扉が閉まるやいなや
「僕は座りたくて座っています。」
自分の周りの数名に聞こえるだけの声量で、でもよく通る低めの声で、ひたすら自分の状態を説明し始めたのです。

次の駅、その次の駅、新しい人が乗ってくるたびに、彼は自分の状態を説明し続けていました。

周りの人とは違うことをしている
自分の意志で行動をしている
それをきちんと言葉で説明ができる

彼なりの処世術なのだろう、と思いました。
ここに至るまでには色々あったろうと想像するけれど、きっと彼は大丈夫だろうとも思いました。

自分の世界を少しでも生きやすくするための手段を見つけるのは大変な作業だけど、私も自分を見つめ、周りとの違いを認め、その中で自分に合う方法を模索していけたらいいなと思った出来事でした。

ただ、ただなぁ・・・
どうにもできない「混んでいる」という事象に対してブチブチうるさくて、最終的に『不愉快!!!』となりました😌